訪問の現場では、ときどき、何をしても、何を言っても、頑なに拒否されることがある。
声をかけても首を横に振られ、手を伸ばせば振り払われ、目を合わせることさえ避けられる。
その瞬間だけを切り取れば、こちらの存在そのものを拒絶されているように感じてしまう。
正直に言えば、心が折れそうになる日もある。
自分の関わり方が間違っているのか。
何か気に障ることをしてしまったのか。
「良かれと思って」が、全部裏目に出ているような気がしてしまう。
でも、ふと立ち止まって考えることがある。
この拒否は、本当に「何もいらない」という意味なのだろうか、と。
言葉にできない不安。
過去の嫌な経験。
知らない人に身体を触れられる怖さ。
自分のペースを乱されることへの抵抗。
理由は、ひとつじゃないはずだ。
拒否という行動の奥には、必ず何かがある。
それは痛みかもしれないし、恐怖かもしれない。
あるいは、「ちゃんと向き合ってくれるのか」という、こちらへの問いかけなのかもしれない。
もしかしたら、試されているのだと思うことがある。
この人は、自分が拒んでも、ここに居続けてくれるのか。
思い通りにいかなくても、尊重してくれるのか。
力で押し切らず、理解しようとしてくれるのか。
そう考えると、拒否は攻撃ではなく、最後の自己表現にも見えてくる。
だから僕は、無理に踏み込まない。
「やりましょう」と繰り返す代わりに、「今日はやめておきますね」と一度引く。
距離を取り、視線を合わせず、同じ空間に“ただ居る”時間を作る。
すると、ほんの一瞬だけ、表情が緩むことがある。
拒否は続いていても、空気が少し変わる瞬間がある。
介護は、思い通りに進める仕事じゃない。
相手の人生の中に、少しだけお邪魔させてもらう仕事だ。
拒否されることも、その人生の一部なのだと思う。
今日も拒否された。
何もできなかった、と感じる日もある。
それでも僕は、その場を離れない。
拒否の奥にある理由を、簡単に決めつけない。
いつか、この人が「拒否しなくていい」と思える瞬間が来るかもしれない。
来ないかもしれない。
それでも、向き合い続けること自体が、ケアなのだと信じている。



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