拒否される理由を、僕は考え続けている

介護ブログ

訪問の現場では、ときどき、何をしても、何を言っても、頑なに拒否されることがある。
声をかけても首を横に振られ、手を伸ばせば振り払われ、目を合わせることさえ避けられる。
その瞬間だけを切り取れば、こちらの存在そのものを拒絶されているように感じてしまう。

正直に言えば、心が折れそうになる日もある。
自分の関わり方が間違っているのか。
何か気に障ることをしてしまったのか。
「良かれと思って」が、全部裏目に出ているような気がしてしまう。

でも、ふと立ち止まって考えることがある。
この拒否は、本当に「何もいらない」という意味なのだろうか、と。

言葉にできない不安。
過去の嫌な経験。
知らない人に身体を触れられる怖さ。
自分のペースを乱されることへの抵抗。
理由は、ひとつじゃないはずだ。

拒否という行動の奥には、必ず何かがある。
それは痛みかもしれないし、恐怖かもしれない。
あるいは、「ちゃんと向き合ってくれるのか」という、こちらへの問いかけなのかもしれない。

もしかしたら、試されているのだと思うことがある。
この人は、自分が拒んでも、ここに居続けてくれるのか。
思い通りにいかなくても、尊重してくれるのか。
力で押し切らず、理解しようとしてくれるのか。

そう考えると、拒否は攻撃ではなく、最後の自己表現にも見えてくる。

だから僕は、無理に踏み込まない。
「やりましょう」と繰り返す代わりに、「今日はやめておきますね」と一度引く。
距離を取り、視線を合わせず、同じ空間に“ただ居る”時間を作る。

すると、ほんの一瞬だけ、表情が緩むことがある。
拒否は続いていても、空気が少し変わる瞬間がある。

介護は、思い通りに進める仕事じゃない。
相手の人生の中に、少しだけお邪魔させてもらう仕事だ。
拒否されることも、その人生の一部なのだと思う。

今日も拒否された。
何もできなかった、と感じる日もある。
それでも僕は、その場を離れない。
拒否の奥にある理由を、簡単に決めつけない。

いつか、この人が「拒否しなくていい」と思える瞬間が来るかもしれない。
来ないかもしれない。
それでも、向き合い続けること自体が、ケアなのだと信じている。

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