訪問の現場で、「今日はご飯、食べたくない」と言われることがある。
お腹が空いていないのか、体調が悪いのか、それとも理由はもっと別のところにあるのか。
短い一言だけれど、その言葉の奥には、いくつもの可能性が隠れている。
介護をしていると、「食べること」はとても大切だと教えられる。
体力を保つため。
薬をきちんと効かせるため。
生きていくために必要なこと。
だからこそ、「食べたくない」と言われたとき、どうしても焦りが生まれる。
でも、無理に勧めることはしない。
「少しでもいいから」と繰り返したり、説得するような言葉を重ねたりはしない。
一度、引く。
「そうなんですね。じゃあ、また後で聞きますね」
そう伝えて、その場を離れる。
食べたくない理由は、人それぞれだ。
口の中が痛いのかもしれない。
気持ちが沈んでいるのかもしれない。
誰かと話す元気がないだけかもしれない。
理由がはっきりしないまま、「食べなきゃだめ」という言葉だけが先に来ると、人は余計に心を閉ざしてしまう。
少し時間を置いて、もう一度声をかける。
さっきよりも、表情が柔らいでいることがある。
「さっきはね…」と、ぽつりと理由を話してくれることもある。
その一言が出てくるまでに、その人の中では、ちゃんと気持ちの整理が行われているのだと思う。
介護は、正解を急がない仕事だと感じる。
すぐに結果が出なくてもいい。
その人のペースを尊重することのほうが、ずっと大切なこともある。
食事を断られた日、「今日は何もできなかった」と感じることもある。
でも本当に何もしていないわけじゃない。
無理強いしなかったこと。
一度引いたこと。
待つという選択をしたこと。
それも立派な関わり方だ。
最終的に、少しだけ口にしてくれる日もあるし、結局その日は食べないこともある。
それでも、「自分の気持ちを尊重してもらえた」という感覚は、きっとその人の中に残る。
食べることは、生きることに直結している。
だからこそ、「食べない」という選択にも、その人なりの理由と尊厳がある。
僕は今日も、その言葉の奥にあるものを想像しながら、そっと距離を測っている。
介護は、何かをさせる仕事じゃない。
その人の気持ちに寄り添いながら、同じ時間を生きる仕事なのだと思っている。



コメント